Friday, June 18, 2010

Wonderful Counselor  06/17/2010.

♦引用を多用しています♦

♥am the resurrection わたしは復活
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)
現代英語訳(TEV)
  Jesus said to her, "I am the resurrection and the life. 
  Those who believe in me will live, even though they die;
標準英語訳(AV)
  Jesus said unto her, I am the resurrection, and the life: 
  he that believeth in me, though he were dead, yet shall he live:

         "I am the resurrection"
         わたしは復活である

このことばは、弟子のラザロを復活させるときに姉のマリヤに言ったことばです。
それにしても、大胆なことばですね。事実、それからまもなく、十字架で死に、墓に葬られたイエスは三日目に復活したのでした。それをお祝いするのが、Easter で、キリスト教にとっては、クリスマスと同様、いやそれ以上に大切な祝日なのです。死者からの復活を、resurrection と言い、特にキリストの復活は、The Resurrectionと書きます。一般的に再生する、活気ずくという意味の復活は、revive です。

♥Let there be light
  神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記1:3)

現代英語訳(TEV)
  Then God commanded, "Let there be light"―and light appeared.
標準英語訳(AV)
  And God said, Let there be light: and there was light.

          "Let there be light"
            光あれ

この言葉を聞けば、ほとんどの人が、創世記の天地創造の記事だとわかるでしょう。それだけでなく、光の持つイメージ、明るさ、希望、愛などに関連して使われることもあります。また光は、イエスキリストの象徴でもあります。

   イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。
   わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)

   Jesus spoke to the Pharisees again. 
   "I am the light of the world," he said. 
   "Whoever follows me will have the light of life and 
   will never walk in darkness."

♥Love your enemies   敵を愛しなさい
日本語訳(新共同訳)
  しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、
  何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いが
  あり、いと高き方の子となる。(ルカ6:35)
現代英語訳(TEV)
  No! Love your enemies and do good to them; lend and 
  expect nothing back. You will then have a great reward, 
  and you will be children of the Most High God. 
標準英語訳(AV)
  But love ye your enemies, and do good, and lend, 
  hoping for nothing again; and your reward shall be great,
  and ye shall be the children of the Highest:

         "Love your enemies"
          敵を愛しなさい

  Love your enemies and do good to them; lend and expect nothing back.

  その意味は、あなたの敵を愛し、(敵に)よい事をしてやり、
    (敵に)貸してやり、何も見返り(利息、お礼)を求めるな

    Love your enemies, Love your enemies...
    と唱えましょう!

♥the narrow gate 狭き門
日本語訳
  狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、
  その道も広々として、そこから入る者が多い。
  しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
  それを見いだす者は少ない。(マタイ7:13,14 新共同訳)
現代英語訳(TEV)
  Go in through the narrow gate, because the gate to hell 
         ========
  is wide and the road that leads to it is easy, 
  and there are many who travel it.
  But the gate to life is narrow and the way that leads to 
  it is hard, and there are few people who find it.
標準英語訳(AV)
  Enter ye in at the strait gate: for wide is the gate, 
         ========
  and broad is the way, that leadeth to destruction, and 
  many there be which go in thereat: 
【解説】
  strait 古い英語では、狭い、の意味
  wide is the gate,broad is the way
  形容詞が先にきて、広いことを強調

      "Go in through the narrow gate"
         狭き門より入れ

狭き門、というと日本では大学入試をイメージしますが、もともとイエスの語られた、天国への道のことです。天国へ行くのに試験があるわけではありません。だれでも行けるのです。しかし、天国へ行く道は、狭く、細く、目立たないのです。
しかも、見た目では魅力の無い道かもしれません。それよりも多くの人は、広々としていて歩きやすく、皆が行く道を選んでしまうのです。それがどこへ通じているか知らなくても。日本人は、皆が行く道が正しいと思います。西洋発祥の民主主義でも多数決で正義が決まります。しかし、聖書が教える正しい道は、神が示す道です。この正しい道を進む人々は、常に少数派でした。

♥慈しみ Love
日本語訳
   恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに (詩篇107:1)
現代英語訳(TEV) : Today's English Version
   Give thanks to the Lord, because he is good; 
   his love is eternal!
現代英語訳(CEV) : Contemporary English Version
   Shout praises to the LORD! He is good to us, 
   and his love never fails.
標準英語訳(AV) : Authorized Version (same as King James Version)

   O give thanks unto the LORD, for he is good: 
   for his mercy endureth for ever.

       神の慈しみ Love

神の「慈しみ(いつくしみ)」という言葉は、古い英語では、mercy と訳されていますが、最近は、love あるいは、loving-kindnessと訳されています。
「慈しみ」という日本語自体、古いことばで、あまりピンと来ないですし、ややもすると、上から見下されているような感じも受けますが、Love と言われると神が身近に感じられるのではないでしょうか。もっとも、「慈しみ」は「慈愛」とも言い換えられ、親がこどもをいつくしむ気持ち、と言えば、神の愛がもっと深くわかるでしょう。
原語のヘブル語では、「ふさわしくない者への恵みの契約に対する誠実さ」を表すようですので、Loveという言葉から連想しがちな軽い愛では無いことも確かなようです。ここで、もうひとつ、「恵み深い」という言葉が、Goodになっています。これもちょっと注目です。欧米から来た宣教師の方が、God is Good!, 神は良いお方です、と言うのを良く聞きます。

♥Cast your bread upon the waters
日本語訳
   あなたのパンを水の上に投げよ。
   ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。(伝道者の書11:1)
現代英語訳(TEV)
   Invest your money in foreign trade, 
   and one of these days you will make a profit.
現代英語訳(CEV)
   Be generous, and someday you will be rewarded.
標準英語訳(AV)
   Cast thy bread upon the waters: 
   for thou shalt find it after many days.

       Cast your bread upon the waters
         パンを水の上に投げよ

パンを水の上に投げる、とは一見無駄に見える、損に思えることを行う、つまり、賭ける、リスクを負うということです。そしてずっと後になって、それが報われるときが来る、という格言です。時には、損と思えるようなことを敢えてしなければならないことがあるものですね。目先の利益だけを追求する人や会社はやがてその報いを受けるでしょう。英語では、何かに賭ける、リスクを払うときに、このCast your bread upon the watersという表現がが使われます。
ところで、この現代英語訳がすごいですね。CEVの、Be generous 「気前良くしろ」はまだいいとして、TEVの、Invest your money in foreign trade 「国際貿易に投資しろ」というのは、ちょっと意訳し過ぎでしょう。原文のニュアンスを少しは残して欲しいですね。

♥at the eleventh hour どたん場
日本語訳(新共同訳)
  五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、
  何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
  彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、
  『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。(マタイ20:6,7)
現代英語訳(TEV)
  It was nearly five o'clock when he went to the 
  marketplace and saw some other men still standing there. 
  "Why are you wasting the whole day here doing nothing?' he 
  asked them.
  "No one hired us,' they answered. "Well, then, you go and 
  work in the vineyard,' he told them.
標準英語訳(AV)
  And about the eleventh hour he went out, and found others 
  standing idle, and saith unto them, Why stand ye here all 
  the day idle?
  They say unto him, Because no man hath hired us. He saith 
  unto them, Go ye also into the vineyard; and whatsoever is 
  right, that shall ye receive.

        at the eleventh hour どたん場

ぶどう園の主人が労働者を朝から集めるのですが、夕方の五時になっても、まだ仕事に付けない人を見つけて、仕事を与える、という話で、神の恵みはどんな人にも平等に与えられるというたとえです。ここで、日本語訳、現代英語訳は「五時」になっていますがこれは現代の時間にあわせてあり、原文は標準英語訳のように「第11時:eleventh hour」です。これは朝6時から数えて11番目という数え方です。
もう夕方になって今日は仕事にありつけないか、と諦めかけていた土壇場で、幸いに仕事が与えられたのです。ここから、at the eleventh hourは「どたん場で」とか「ぎりぎり(最後)になって」とか言う表現になりました。

     「きみは愛されるため生まれた」

at the eleventh hour    最後まであきらめるな、というメッセージにも受け取れませんか?

♥おめでとう、恵まれた方
日本語訳(新共同訳)
  天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。
  主があなたと共におられる。」 (ルカ1:28)
現代英語訳(TEV)
  The angel came to her and said, "Peace be with you! The 
  Lord is with you and has greatly blessed you!" 
標準英語訳(AV)
  And the angel came in unto her, and said, Hail, thou that 
  art highly favoured, the Lord is with thee: blessed art 
  thou among women. 
 Hail : 古語で、祝福のことば。万歳、幸あれ、などにあたる。
 favoured : 寵愛された

       Hail, thou that art highly favoured

有名なマリアへの天使のお告げの場面です。
  Hail!
  おめでとう! 万歳!
  thou art highly favoured!
  あなたは、(神に)特別に寵愛された(選ばれた)
  救い主イエスの母として、神に選ばれたマリアへの、
  最高の祝福のことばです。

     「きみは愛されるため生まれた」

♥大きな喜びの知らせ
日本語訳(新共同訳)
  天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる
  大きな喜びを告げる。 (ルカ 2;10)
現代英語訳(TEV)
  but the angel said to them, "Don't be afraid! I am here 
  with good news for you, which will bring great joy 
  to all the people. "
標準英語訳(AV)
  And the angel said unto them, Fear not: for, behold
  I bring you good tidings of great joy, which shall be 
  to all people. 
★語句
  behold   (注意を促す意味の)見よ
  tidings  [文語] 便り、通知

        good tidings of great joy 
        大きな喜びの知らせ

イエスが誕生した夜、羊の番をしていた羊飼いに、天使が現れ、救い主の誕生を知らせたという有名な場面です。クリスマスは、Great Joy 大きな喜びとときであり、救い主の誕生は、Good News すばらしい知らせです。これがいわゆる「福音」なのです。キリストの誕生が、なぜ、Good Newsなのか、なぜ、Great Joyなのか、疑問に思われる方は、ぜひ今年のクリスマスは教会に足を運んでみてください。

     「きみは愛されるため生まれた」

♥Handwriting on the wall 前兆、警告
日本語訳(新共同訳)
  その時、人の手の指が現れて、ともし火に照らされている王宮の
  白い壁に文字を書き始めた。王は書き進むその手先を見た。(ダニエル書 5:5)
現代英語訳(TEV)
  Suddenly a human hand appeared and began writing on the 
  plaster wall of the palace, where the light from the lamps 
  was shining most brightly. And the king saw the hand as it 
  was writing.
標準英語訳(AV)
  In the same hour came forth fingers of a man' hand, and 
  wrote over against the candlestick upon the plaister of 
  the wall of the king' palace: and the king saw the part 
  of the hand that wrote.

        see thr handwriting on the wall 
            前兆を見る

バビロニアの王ベルシャツァルが千人の貴族を招いて大宴会を開き、イスラエルから略奪してきた品物を自慢していたとき、突然、人の指が現れ、王宮の壁に何か文字を書いたのでした。王は恐怖にかられて顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えました。王は祈祷師、賢者、星占い師などを連れて来させ、「この字を読み、解釈できる者には、高い地位を与える」と約束しましたが、誰も解けませんでした。最後に、ユダヤ人の預言者で捕虜になっていたダニエルが呼び出され、この壁に書かれた文字を解読したのです。それは、神がこの王国を取り上げ、メディアとペルシアに与えられるという予告でした。(事実、そのとおりになったのは歴史的事実です。)

   see thr handwriting on the wall 

     or

   read the writing (on the wall)

     などの表現が、災いの前兆、予告、警告などを見る、あるいは察知する
 という意味で使われるようになりました。

     「きみは愛されるため生まれた」

For a righteous man may fall seven times, and rise again (Proverbs24:16)
→ 七転び八起き

聖書の言葉「正しき者は七回倒れても再び起き上がる(For a righteous man may fall seven times, and rise again)」(Proverbs24:16)(and rise againの部分はbut he gets up againのこともあり)に由来する、とする説もある。どれが真相かは分からない。まさに「神のみぞ知る」というところか。「七転び八起き」のことばは聖書から来ています。転んでもくじけないというのが「七転び八起き」の意味ですが、何度でも挑戦し、立ち上がるということです。聖書の箴言24章16節にはこう書かれています。
箴言24.16
正しい者は7たび倒れても,また起き上がるからだ.悪者はつまずいて滅びる.
悪者といわずとも知恵のないものは「七転八倒」して失敗に終わります。
悪人が倒れると、「ざまー見ろ。ばちがあたった。」といいたいものですが聖書はそのようなことばは、口の出してはならないと言っています。
箴言24.19
悪を行なう者に対して腹を立てるな.悪者に対してねたみを起こすな。 悪者には戦い挑み倒したくなる衝動にかられる勇者がおられますが、聖書は悪者の運命は決まっているから腹をたてるなと言っています。
箴言 24.20
悪い者には良い終わりがなく,悪者のともしびは消えるから.私達が知るべきことは‘とき’はすでに来ているということです。人間のわざではなく、聖霊がすべてを刷新されます。自分に頼るのではなく主のみわざに頼ることが出来ますように。

聖書は七転び八起きを教えている。
アメリカの社会と日本の社会を比べてよく言われるのは、アメリカは再起を支援するが、日本はそうしない、ということだ。 
会社で一度失敗したら立ち直れない。そういった不文律がある。 
しかし、人間は失敗するものであるから、一度や二度の失敗で、敗残者の烙印を押すというのは、極めていびつであり、非人間的である。 
こういった失敗者に対する冷たい処遇は、「新しいことを積極的に作り出そう」という意欲のある人々を減らし、社会全体が事なかれ主義に変わっていき、活力が失われていく。 
聖書は、「七転び八起き」を教えている。失敗しても、立ち直ればよいのだ。失敗した人を責め、再起を拒否するのはサタンである。 
サタンは、自ら誘惑しておいて、誘惑に落ちた人を責めたてる。「おまえは、もうだめだ。二度と立ち直れない。」と。 
失敗を赦さない社会は、過去志向である。過去の失敗にこだわるからである。しかし、聖書が教える社会とは、未来志向である。過去を振り返るのではなく、未来に向かって前進することを強調する。 
もし失敗した人が悔い改めを拒否しているなら仕方がない。悔い改めができない人を再起させることは、悪の拡大につながるから。 
サタンは人間を恐れさせようとしているのだ。  
人生には、いろいろなつまずきや挫折があります。受験の失敗、失業、倒産、離婚、病気の苦しみ人間関係のつまずきなどです。そして、多くの人が決定的な打撃を受けて立ち上がれなくなるのを見ることが多々あります。私たちの周囲にそのような人はたくさんいるのではないでしょうか。昔から日本にある諺に「七転び八起き」というのがあります。これは、人間の頑張りに訴えて、奮起を促しているという面があります。「七回転んでも、頑張ってもう一回起きるんだよ!」ということを言っているわけです。人生の試練に直面しても、挫けないで頑張りなさい!ということを教えているのだと思います。
●「正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。」(箴言24:16)。
しかし、この箴言のみことばの「七たび」というのは、「七」という回数を言うのではなく、ヘブル語の「七」は完全数を意味しますから、「七たび倒れる」といのは、完全な「ノックダウン(knockdown)」の状態であります。完全に打ちのめされても、どんなに頑張っても、奮起しようとしても、もう二度と起き上がれない状態を意味しているのであります。それにも拘わらず、聖書は「また起き上がる」と言っていますが、これは、どのような意味なのでしょうか。この「正しい者が起き上がる。」というのは、日本の格言とは根本的に違うものなのです。つまり、ここでいう「正しい者」というのは、正しい神を認め、信仰に生きる人のことであり、新約時代に当てはめれば、キリストの十字架の贖いの恵みによって、罪赦され、義(正しい)と認められた人のことです。このように神に正しい者と認められた人は、神に全幅の信頼ををもってより頼む人のことであります。キリストの中に罪の赦しを見出す人は、罪に汚れた過去から立ち直ることができます。また、キリストの中に完全な愛を見出す人は、千万人の敵の中でも、立ち上がることのできる人なのです。日本の格言七の「七転び八起き」は、人間の頑張りと努力に訴えて奮起させようとするものですが、しかし、人間の頑張りには、限界があります。人間は、誰でも色々な苦しみや悲しみに押し潰されそうになり、立ち上がれない状態になることがあります。人間には、非常に強い面もありますが、どんなに努力しても辛抱しても、そこには自ずから限界というものがあります。しかし、神を信じより頼む人は、エネルギー(Energie)の根源が自分の頑張りや忍耐力にあるのではなく、無限の力を持つ全能の神につながっている人です。
そのような人は、人間の努力やガンバリでは二度と立ち上がれないほど、完全に打ちのめされても、神の力によってまた立ち上がることができるのです。全能者である神に、どこまでも信頼する人は幸いな人であり、もう立ち上がれないという状況になることはないのであります。新約時代にの、有名な使徒パウロの生涯において、その実例を見ることができます。パウロの信仰生涯においては、何度も、何度も、四方八方から苦しめられることがありましたが、窮することはありませんでした。途方に暮れてしまうような試練がありましたが、しかし、行き詰ることはなかったのです。
●「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰まることはありません。 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 」(コリント人への第二の手紙4:8,9)。
●「‥‥私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、‥‥私たちを慰めてくださいました。」(コリント人への第二の手紙4~6)。
パウロは、このみことばにもありますように、精神的にも何度も何度も打ちのめされそうになったことがありましたが、神が彼を慰め、立たしめ、奮起させてくださったのであります。パウロは、倒されるようなことがあっても、滅びることはありませんでした。また、彼の宣ベ伝えているキリストの福音も滅びることがありませんでした。
●「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、鞭打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。 ユダヤ人から三十九の鞭を受けたことが五度、 鞭で打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 」(コリント人への第二の手紙11:23~27)。
パウロのこのような告白を読みますと、迫害や飢えやその他数々の試練に遭い、パウロがいかに酷い苦難と過酷な逆境を経験したかを知ることができます。まさに、それは壮絶なクリスチャンの生涯でありました。しかし、そのような状況にあっても、パウロは絶望することなく、主は、そこから彼を救い出し、再起させて下さったのです。その生涯の間、パウロを支えて下さったのは真実なる神なのです。
●「私(キリスト)は彼らに永遠の命を与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、誰も私の手から彼らを奪い去るようなことはありません。 私に彼らをお与えになった父は、全てに勝って偉大です。誰も私の父の御手から彼らを奪い去ることはできません。 」(ヨハネの福音書10:28,29)。
このようにパウロを強くしたのは、神を信じる信仰のみであります。確かに「倒されても決して滅びることがない」人生であったのであります。キリスト信者が倒されても倒されても、また、起き上がることができるのは、キリストを信じて永遠の命を受け、死んでも復活するという永遠の希望を持っているからであります。このような「決して滅びることがない」という約束は、キリストを信じる者に強い確信を与えるのです。彼は、信仰によってこの世の単なる幸福やご利益を求めていたのではなく、真の確信と永遠につながる希望があったのです。

これって、日本語の「七転び八起き」ですよね。
達磨から来たとずっと思ってたんですが、それよりもずーーーっと前にソロモンが歌っていたんです。恐らく、シルクロードを通って日本に入って来て、変形して仏教用語に変身したんでしょうね。昔、日本はシルクロードの終着地だって言われていましたからね。

落ち込むことや凹んじゃうことだってあります。
でも、そういう状況に追い込まれれば追い込まれるほど、深い深い部分に光が差込み、愛と慰めで満たし、優しく受けとめられるんです。
悲しくてどうにもやりきれない時、理不尽な状況に自分が追い込まれた時誰も分かってくれないって思ったとき、聖霊は僕に語りかけてくれるんです。
人を見ちゃだめだよ、イエス様を見なさいってね。
で、イエス様を見上げると、イエス様は本当に優しく受けとめてくれるんです。
  
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。 Psalm 23:5
  
神さまは試練の真っ只中でも食事を整え与えてくださるお方
その度に落ち込んでねもうだめかなぁ・・・とか
全宇宙最大最高の名デザイナー兼トータルプロデューサーです。
このお方が自然を造り、動植物を造り、そして人間を特別に神さまに似せて造られました。そしてぼくもまた同じお方によって造られ、そしてぼくの人生はもう神さまによってプロデュースされています。
このお方に生かされ歩んでいる。それは試練の真っ只中でも同じです。
  
苦しみが多ければ多いほど、主の愛の満たしは深いです。
七転び八起き、これはクリスチャンの特権であり、恵みですね。
試練の中でこそ、神の愛は深く差し込んでくれるのですよね☆
Hallelujah! ではでは

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